プロフィール

ボイストレーナーとしては一風変わった経歴です。

ご興味ある方のみ、お暇つぶしがてらにご覧くださいませ。半生を振り返ったため、ものすごーく長いです (^ ^)

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祖父は、童謡 "みかんの花咲く丘"  "かわいい魚屋さん" などで知られる作詞家:加藤省吾

姉は、声優の加藤有生子

 

千葉県は幕張で生まれる。

父が転勤族だったため、生まれてすぐに兵庫県へ。その後は大阪府へと移り、そこで幼稚園時代を過ごした。

三つ子の魂百までと言うが、今だに関西の人と話すと自然と関西弁ネイティブになるから不思議なものである。

 

この大阪時代のピアノ教室で絶対音感のプログラムを受け、本人が無自覚のまま身につける。

しかし、それが絶対音感というものだとは18歳を過ぎるまで知らず、それ故にだいぶ苦労する場面も多かった。(絶対音感が逆に不便な時も多々あるのです)

 

その頃はまだ両親の影響から主にクラシック音楽を聴いていた。

歌の上手な母は当時盛んだった "ママさんコーラス" の団員だったため家でもいつも歌っており、幼い私もメチャクチャなドイツ語もどきの歌詞を真似して歌ったりしていた。

 

性格は基本的には明るかったが、非常に真面目で神経質な面があり、お昼寝が全然できない子供だったらしい。おそらく色々な音が気になっていたのだと思う。ちなみにそのせいで今だに眠ることが下手なのは悩みの種。

 

 

小学校に上がるタイミングで、父の実家である東京・高円寺へと引越す。それは奇しくも現在のサロンの近所なのだが、当時はまだ知る由もない。

 

小学生になると、映画音楽のサントラ集めにハマる。

きっかけは、生まれて初めての映画館でスピルバーグ監督のE.T.を観て、音楽と情景がリンクすることで作り出される壮大な世界観に大きな衝撃を受けたこと。

その後お年玉を握りしめて初めて買ったレコード(時代を感じますね)がジョン・ウィリアムズのE.T.のサントラで、そこから暫くは観た映画ほとんどのサントラを集めるようになる。

 

家では少し歳の離れた姉と一緒に、いつも歌いながら遊んで過ごした。

二人とも主旋律よりもハモる方が好きで、よくコーラスパートを取り合ってはケンカになるという、なかなかマニアックな姉妹だった。

この日常の遊びが、コーラスワークを好きになった所以だと言える。

 

 

小学校高学年からは千葉県へと移り住む。

この頃になると、FMをよく聴いていた姉の影響や、帰国子女だったクラスメートが歌っていたことなどから洋楽の良さを知り、好んで聴くようになる。歌詞の意味はよく解っていなかったが、英語という言語が持つ特有のリズムや響き、そしてリズムトラックに耳が向くことが楽しかった。

とりわけマイケルジャクソンのMan in the mirrorや、マドンナのLike a prayerに出てくるゴスペルクワイアたち、その後半にかけて盛り上がっていく迫力あるコーラスに、なんとも言えない高揚感を覚え、子供ながらに激しく心を揺さぶられた記憶がある。

 

 

中学校では吹奏楽部に入り、パーカッション(打楽器全般)をその後8年間続ける。

特に高校ではその地区での強豪校に入り、全国大会を目指して熱血な青春時代を過ごした。

リズム楽器として縁の下の力持ちをキープしながらも、時に圧倒的なソロ楽器として楽曲にスパイスを加えるという、ppppからffffまでメリハリを効かせたダイナミクスが表現できるこのパートが大好きだった。

朝から晩までメトロノームと睨めっこしながらコツコツと基礎練習に励み、皆で息を合わせて一つのハーモニーを作り上げる、その難しさと素晴らしさを学ぶことのできた貴重な時間であった。(ご存知の方も多いかと思いますが、吹奏楽部は意外と体育会系なんですよ)

この頃に身につけた音楽の理論や基礎知識、リズム感などは、後に音楽の仕事でも非常に役立つこととなる。

ちなみに音楽の授業などでピアノ伴奏を弾いたりはしていたが、まだ人前で歌ったりなどは全くしていない。友達とカラオケに行く程度。


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その後、機械や音響機器が好きだったこともあり音響関係の専門学校へ。

そこで大御所ジャズミュージシャンである講師陣による音楽ゼミを受講、プロの演奏家たちの凄さを目の当たりにし、様々な刺激を受ける。

そしてレコーディングやPAなどの音響技術を学んだ後、夢と魔法のテーマパークに音響/照明スタッフとして高倍率で就職、晴れて社会人となった。

がしかし王国の裏側、閉ざされた現場の環境に「何かが違う...」と違和感を抱いてしまい、程なくして退職してしまう。

 

 

そこからCMや音楽制作を主とした都内のレコーディングスタジオに転職し、アシスタントディレクターやブッキングマネージャーなどを兼任することになる。

拘束時間が長過ぎて千葉からでは通えないので、一足先に都内で一人暮らしをしていた姉のもとへ転がり込む形で実家を出た。

当時はコンプライアンスなど皆無で、タバコの煙が蔓延した劣悪な防音ブースの中で朝方まで連日徹夜で働くという(休日もほぼ無し)、今では信じられないような過酷な日々を過ごした‥‥

が、プロの現場には厳しさに勝るくらいの楽しさや貴重な学びも多かったので、あれはあれで人生においての修行期間だったな〜と今となっては懐かしく思えている。

 

 

しかし時代の流れ的に音楽業界全体が変革期(CDが売れなくなったあたり)にあったため勤務先スタジオが倒産、友人の伝手で音楽放送局へ転職し、そのタイミングで一人暮らしも始めた。

そこでは世界中の音楽を衛生放送で24時間流していて、その音を録音しながら確認のためにそれらを一日中ひたすら聴き続けるという、ある意味では夢のような業務に就いた。

普通に生きていたら聴く機会があまりなかったであろう、世界中の様々なジャンルの音楽たちにも触れることができ、この経験は現在の仕事でも充分に活かされていると思う。

 

 

一方、このあたりから様々なキッカケがあり「歌うこと」に重心を置き始める。

関係者を介して、CMやアーティストのコーラス入れなど歌の仕事を頂けるようになり、ボイストレーニングにも通い始めた。

元々は歌を "録音する側" の仕事をしていたため、"録音される側" の仕事であるというのも実に興味深かったし、元来ハモリ好きであることや、絶対音感による楽譜の初見力を活かすこともでき、レコーディングの仕事はとにかく最高に楽しかった。


また当時はライブ活動も精力的に行っており、ソロ、バンドやユニット、コーラス、ピアノ弾き語り、アカペラグループなど様々な形態で毎週のようにステージに立ち、忙しくも充実した日々を送った。

 

 

しかし数年後、またもや勤務先の業務が時代の流れ的に(音楽ダウンロード配信が浸透し始めたあたり)プロジェクト終了の陰りを見せる。

いよいよ「音楽業界で仕事をしていくのは先々が安定しないな‥」と将来の不安を切実に感じ始め、人生で一度は経験してみたかった「一般企業でまともに働く」ということにチャレンジすることを決意。(まるで音楽業界がまともじゃないみたいに言いましたが、当時は本当にそうだったんですよ)

 

実際に派遣社員に登録し、一般事務職として働き始めてみると、周囲の人の服装から話題から生活時間帯から、何もかもが音楽業界とは全く違っていて非常にカルチャーショックを受けた。

が、暫くすると「あら意外とイケそうかも?」と感じるような順応性をみせる。元々パソコン業務は得意だったので仕事も問題なくでき、ちゃんと一般常識もあったため、2年を過ぎた頃には上司の勧めで正社員になることもできた。

 

しかし、いざ正社員になってみると上司と派遣社員たちとの間で板挟みとなり、人間関係のストレスから鬱気味に。プライベートでも色々とあり、毎日が辛く、頻繁に過換気症候群をおこして円形脱毛症にもなってしまう。

あまりにも日常に音楽が足りなく、今まで生きてきた環境と違い過ぎたため「このままでは自分らしさが1ミリも発揮できないまま人生が終わるかも‥」と心に限界を感じていた頃…

 

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あるとき転機がやってきた。

元々アカペラ仲間だったボイストレーナーのAKIRA氏から「ボイストレーナーをやってみなよ、絶対に向いてるよ!」と勧められ、専門知識とメソッドを学ぶ機会を得て、そこから研鑽を積むこととなったのだ。

当初は「そんな、人様に教えるなんて、とんでもない」と思っていたが、半ば強引な(?)説得もあり、とりあえず週末だけならばと始めてみることに。

やがて自身の性格、適性、経験などが活かせるこの仕事は、もしや天職なのでは…と感じるようになり、意を決して勤務先を退職。

これがその後の人生を決める大きな分岐点となった。

 

 

それからは、修行をしながら少しずつ生徒さんも増え始め、紆余曲折ありながらもお陰様で教室は17年目を迎えることができている。(肝心なところをだいぶ端折りましたが、そりゃあもちろん色々あり、、)

あらためて今こうして振り返ってみると、若い頃に様々な職に就き、人間関係に揉まれ、家賃や生活費の支払いと常に格闘し、様々なプレッシャーから身体を壊したりしながらも、それなりに頑張って経験値を積んできたんだなぁ〜と、なかなかに感慨深い。

 

初心者、プロ、老若男女、皆それぞれに立場や年齢や個性のまったく違う方々のトレーナーをする時、自身の今までのいろんな経験が全て役立っているな、と改めて感じることも多くなった。そしてまた、自身もまだまだ今から成長できる学びが沢山あることは、とても嬉しくて有難いこと。

通ってくださる皆さんに楽しい気持ちになってもらえるような、時には心に寄り添えるような、そんなレッスンを心がけ、日々感謝の念を抱きつつ、、、人生後半戦も精進して参ります!

 

そして、なぜ私がセラピストになったのか?? それはまた、いつか別の機会に。

長々とお読みいただき、ありがとうございました(^人^)

 

 

2024年 6月

ボイス/ボーカルトレーナー

ボイスヒーラー/セラピスト

弓美子